【奇跡講座】の気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

(レッスン228)

誰かが私をとがめている、、、なんていう妄想が長い間あった。

 

だから、私も誰かを咎めてきた。

 

これが自作自演だとは信じられなかった。

 

でも、私のでっちあげでしかなかった。

 

完全に何もなかった。

 

空だった。

 

・・・

ワークブック

レッスン228

 

神は私を咎めなかった。もはや私も咎めない。

 

父は私の聖性を知っている。

私は神の知識を否定し、神の知識によれば不可能なものごとを信じるのだろうか。

神により虚偽と宣言されていることを、真理として受け入れるのだろうか。

それとも、神こそが私の創造主、神の子の真の状態を知る存在であるがゆえに、神の言葉が告げる通りの自分の本性を、私は受け入れるだろうか。

 

父よ、私は自分について間違っていました。

自分の源を理解できなかったからです。

私は、一個の肉体に入って死ぬためにその源を離れたりはしませんでした。

私があなたの一部であるように、私の聖性は私の一部であり続けます。

私自身についての間違いは夢にすぎません。

今日、それらを手放します。

私には、自分の真の本性について、あなたの御言葉だけを受け取る用意ができています。

(1・2)

夢の放棄は罪の放棄(レッスン227)

自分の言い張りが、

自分を縛り、自分を自分だと強化していた。

 

だけど、そんなときも、本当は何ひとつ起こってはいなかった。

 

ゆるされて、

 

笑い合う。

 

エアー。

 

その軽さの体感。

 

今にイエスと言う。

 

「空(エアー)」。

・・・

ワークブック

レッスン227

 

これが、私が解放される聖なる瞬間である。

 

・・・・・

父よ、今日は、私が自由になる日です。

私の意志はあなたの意志とひとつだからです。

私はほかの意志を作り出すことを考えました。

しかし、あなたから離れて私が考えたことは、何一つ実在しません。

そして私が自由である理由は、私が間違っていたからです。

私の幻想は私の実相に何ら影響を与えなかったからです。

今、私はそれらの幻想を放棄して、真理の前に置き、私の心から永遠に取り去ってもらいます。

これが、私が解放される聖なる瞬間です。

父よ、私は自分の意志があなたの意志とひとつだと知っています。

 

そうして、私たちは今日、本当は一度も離れたことのない天国へと、喜びの帰還を果たす。

神の子は今日、自分の夢を放棄する。

神の子は今日、罪から解放され、聖性に包まれ、ついに正しい心を取り戻し、再びわが家に帰る。

(1・2)

苦しみという愛着(レッスン226)

子供の頃、父母が建てた新しい家を、複雑で理不尽な諸事情で、父の弟家族に譲らなければならなくなった。

 

そして私たち家族は、暴れる祖父のいる古い家に住むことになった。

 

学校から帰るとき、毎日、かって住んでいた新しい家を横目に、それよりもずっと遠くになった古い家に帰っていく。

 

家には不機嫌な母がいたし、いつ暴れるかわからない祖父がいた。

 

あのころの惨めで混乱していた感覚。

 

まさか、この感覚が、自分の自作自演だとは到底思えなかった。

 

この感覚が、「分離」を推し進めるために作られたものだったなんて。

 

だけど、この感覚を作っている「思考と感情」は、分離の信念の戯れ

 

この戯れに長いこと居座ると、それは執着になる。

 

というか、愛着になる。

 

苦しみが愛着になっている。

 

・・・

 

それをやめて、

 

自分の「思考」をいっさい持ち出さず、

 

「わからなさ」の中に。

 

「わからなさ」の現れに、ただ直面する。

 

「わからなさ」を甘受する。

 

・・・

 

この世界に意味をもたないことで、自由になる。

 

自由はどこまでも優しい。

 

何もつかまない。

 

何も裁かない。

 

全部が「愛」だと知っている。

 

「わからなさ」に抱かれる。

・・・・・

ワークブック

レッスン226

 

私の家が待っている。急いでわが家に帰ろう。

 

もし私がそう選ぶなら、この世界を完全に立ち去ることができる。

これを可能にするのは死ではなく、世界の目的について心を変えることである。

もし私が、今見ている通りに、世界を価値あるものと信じるなら、世界は私にとって価値あるものであり続ける。

しかし、もし世界を見ながら、その中に価値を見ず、自分のものにしておきたいものや、ゴールとして追求したいものを何一つ見なければ、世界が私から去っていく。

それは、私が真理に入れ替わる幻想を求めなかったからである。

 

父よ、私の家は、私が喜んで帰ってくるのを待っています。

あなたの腕は開かれており、あなたの御声が聞こえます。

天国がこのようにたやすく私のものになるというのに、虚しい願望や打ち砕かれた夢しかない場所に、どうして長居をする必要があるでしょう。

(1・2)

最後の散歩(レッスン225)

この世界は、厳しく、険しく、深刻で、怖い場所で、

愛を欲しがったり、愛されなかったり、

蹴落としたり、追い越されたり、裏切ったり、傷つけられたり、

盗ったり、奪われたり、ひとりぼっちになったり・・・・・。

 

これらが、分離の思考が作り出す妄想だなんて、どうしたって信じられない。

 

それでも、信じられないままに、

 

その「分離の思考」をおそるおそる、無視してみる。

 

「わかりません」の気楽さに、「フッ」と落ちてみる。

 

この「フッ」の広さと深さがあがってくる、染みわたっていく。

 

「フッ」の軽さの方が大きくなったある日、

 

この深刻な世界が、本当になんでもないものだと感じられるように。

 

「葛藤の世界の散歩の夢」を見たに過ぎなかったのだと。

 

・・・・・

 

何もかもが「空」、「光」という「愛」で出来ている。

 

光のプリズムを、「分離の思考」は、いろんなものに解釈しただけだ。

 

あの時も、この時も、一瞬たりとも、「愛」「光」、

 

そして「空」から、離れたことはなかった。

 

目が開かれる。

 

心が開かれる。

 

慈愛の海の中へ。

 

・・・・・

ワークブック

レッスン225

 

神は私の父であり、子は父を愛する

 

父よ、私を愛してくださるあなたを、私は愛さずにいられません。

与えることと受け取ることは同じであり、あなたはご自身の愛のすべてを私に与えてくださったからです。

私も同じく愛さずにはいられません。

私の心に輝くその愛を、自分のものとして、充分に自覚したいからです。

その優しい光の中にその愛を穢れなく愛しいものに保ち、恐れを後にし、ただ平安へと向かうことを願うからです。

あなたに愛される神の子があなたのものへと導かれる道は、何と静かなことでしょう!

 

兄弟よ、私たちは今その静けさを見出す。

道は開かれている。

今、私たちは一緒に平安のうちにその道をたどる。

あなたは私に向かって手を差し出した。

そして、私は決してあなたを見捨てはしない。

私たちはひとつである。

そして、本当は始まったことのない旅を終わらせる。

この最後の散歩を歩み終えようとするとき、私たちが求めるのはこの一体性である。

(1・2)

語る必要を感じなくなるまで(レッスン224)

「沈黙」だけがリアルでした。

 

「沈黙」は始まりであって終わり。

 

「沈黙」を体感するまでは、語られていく。

「奇跡講座」の言葉も、語る必要のないことを、あえて言葉で現わしている。

 

「沈黙」をどうしたら語れるか。

「沈黙」をあえて、一語一句、可能な限り、「   」に近づけようを語る。

 

最後は、語るのをあきらめる。

 

「沈黙」は「   」。

 

「   」。

 

「   」のあたたかさ、優しさ、慈愛にふれたら、もう言葉は必要ない。

 

「   」を愛おしみ、わかちあい、祝福する。


言葉も思考も家も行動も食べ物も、


「    」でできている。


なんだっていい。


全部「愛」、


もしくは「    」。

 

・・・

ワークブック

 レッスン224

 

神は父であり、父は子を愛する。

私の真のアイデンティティーはまったく揺るぎなく、高貴であり、罪はなく、栄光に輝き、偉大にして慈しみに溢れ、罪悪感とは無縁である。

だから、天国は、私の真のアイデンティティーから光が与えられるのを待っている。

それはまた世界をも明るく照らす。

それは父が私に与えた贈り物であり、私が世界に与える贈り物でもある。

与えられ、受け取られる贈り物は、これしかありえない。

これが実相であり、これだけが実相であり。

ここで幻想は終わる。

それが真実である。

 

父よ、私の名は今でもあなたに知られています。

私はそれを忘れてしまいました。

私は、自分がどこに行くのか、誰なのか、何をしているのかが、わかりません。

父よ、自分の見ている世界に疲れ果てた私に、思い出させてください。

こうしたもののかわりに、あなたが私に見せようとなさるものを、現してください。

(1・2)

 

 

ひとりぼっちは不可能だった(レッスン223)

「こんにちは」^^。

 

すれ違う一瞬のふれあい。

 

いつも、いつも、「事実」と一体。

 

なにとも離れていないのだ。

 

ひとりぼっちなることは不可能なのだ。

 

いつも包まれていたのだ。

 

だからこそ、安心して不平不満をぶちまけていた。

 

あぁ、でも、そんなことに、この一瞬を使うのはもうやめよう。

 

祝福のためだけに、

 

この一瞬を使いたい^^。

 

・・・

ワークブック

 

レッスン223

 

神は私の生命である。

神の生命のほかに、私に生命はない。

 

自分が神から離れて生きていると思っていたとき、私は間違っていた。

私は、自分が肉体の中に住み、どこにも属さず孤立して動き回る分離した存在だと思っていた。

今、私は、自分の生命が神の生命であると知っている。

神のほかに私の住む家はなく、神から離れて私は存在しない。

私の一部でない神の想念は一つもなく、神のものでない私の想念は一つもない。

(1:3)

 

落ちる(レッスン222)

下まで落ちたつもりだったけど、落ちてなかった。


まだでも自分で自分を救えるとか、

自分で自分を幸せにできる、自分でそれがわかっている、と思っていた。


この世界に、おおいに期待していた。


この世界を幻想だと知ったかぶりしながら、それなのに、本当は、きっと何か、私を満たすものはあるはずだと、諦めていなかった。


サレンダーは徹底サレンダー。


だって、空だけがリアル。


本当にそれだけが実在。


もー、諦めた。


もー、手を離す。


どんどん下に。

1番下に。

落ちる。

落ちる。

落ちてしまおう。


あれ、

落ちたら、ふかふかだった、というか、空の中に浮かんでいた。


・・・

ワークブック

レッスン222

 

神は私とともにある。私は神の中で生き、神の中で動く。

 

父よ、私たちはあなたの御名よりほかに口にする言葉はなく、心に抱く言葉もありません。今、静かにあなたの臨在の中に入り、平安のうちに、あなたとともに少しの間、休らいたいと願います。