「沈黙」だけがリアルでした。
「沈黙」は始まりであって終わり。
「沈黙」を体感するまでは、語られていく。
「奇跡講座」の言葉も、語る必要のないことを、あえて言葉で現わしている。
「沈黙」をどうしたら語れるか。
「沈黙」をあえて、一語一句、可能な限り、「 」に近づけようを語る。
最後は、語るのをあきらめる。
「沈黙」は「 」。
「 」。
「 」のあたたかさ、優しさ、慈愛にふれたら、もう言葉は必要ない。
「 」を愛おしみ、わかちあい、祝福する。
言葉も思考も家も行動も食べ物も、
「 」でできている。
なんだっていい。
全部「愛」、
もしくは「 」。
・・・
ワークブック
レッスン224
神は父であり、父は子を愛する。
私の真のアイデンティティーはまったく揺るぎなく、高貴であり、罪はなく、栄光に輝き、偉大にして慈しみに溢れ、罪悪感とは無縁である。
だから、天国は、私の真のアイデンティティーから光が与えられるのを待っている。
それはまた世界をも明るく照らす。
それは父が私に与えた贈り物であり、私が世界に与える贈り物でもある。
与えられ、受け取られる贈り物は、これしかありえない。
これが実相であり、これだけが実相であり。
ここで幻想は終わる。
それが真実である。
父よ、私の名は今でもあなたに知られています。
私はそれを忘れてしまいました。
私は、自分がどこに行くのか、誰なのか、何をしているのかが、わかりません。
父よ、自分の見ている世界に疲れ果てた私に、思い出させてください。
こうしたもののかわりに、あなたが私に見せようとなさるものを、現してください。
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