【奇跡講座】の気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

ご機嫌取りの日々を(レッスン289)

過去が心に残ってるなぁ。

 

思い出した!

 

今もそれに反応する。

 

なんだろう。

 

彼女のあり方が許せないのではなくて、体験した出来事が許せないのではなくて、それに便乗し、合わせた、その自分が嫌なんだなぁ。

 

この世界をリアル化し、ご機嫌取りをし続けてきた。

 

わからないままにできなかった。

 

なんとかわかってるふりばかりしてた。

 

その自我がゆるせない。

 

長い間、「真」への裏切り行為をしてきた自我状態がゆるせない。

 

こうやって、ゆるせない間は自我は温存されるのにね・・・。

 

日向で自我を干そう。

 

言い張りをそのまんま広げてお日様に当てよう。

 

ご苦労様って。

 

・・・

ワークブック

レッスン289

 

過去は終わっている。それが私に触れることはできない。

 

私の心の中で過去が過ぎ去っていなければ、私の視覚は実相世界を捉えることはできない。

私が見ているのは、実は、存在していない場所である。

存在していないものだけが私には見えている。

それでどうしいて赦しが差し出す世界を知覚できるだろう。

その世界を隠すためにこそ、過去が作り出された。

それは今という時にのみ見ることのできる世界だからである。

その世界に過去はない。

赦されるべきものは過去だけであり、赦されたなら、過去は過ぎ去るからである。

 

父よ、存在していない過去を私が見ることがありませんように。

過去が触れずにおいた現在の世界、罪から自由な現在の世界に、あなたはそれにかわるものを与えてくださったからです。

ここに罪悪感の終わりがあります。

ここであなたの最後の一歩に備えて、私の準備が整います。

私はあなたをこれ以上長く待たせたりはしません。

あなたはわが子のすべての夢と苦痛の終わりとして麗しきものを計画され、神の子がそれを見出すのを待っておられるのですから。

(全文)

イエスは此処かしこに(レッスン288)

今も刻みいれている記憶の数々。

 

ひとつひとつを空(くう)に放り出す。

 

方向性を失い、そこでただ認められ、見抜かれ、静まっていく。

 

これだけでいい。

 

恋焦がれたイエスは此処かしこに。

 

聖なる瞬間の連続。

 

慈しみのシャワー。

 

・・・

ワークブック

レッスン288

 

今日、私が兄弟の過去を忘れることができますように。

 

・・・・・

この概念が、あなたへの道を先導し、私をゴールへと連れていってくれます。

兄弟を伴わずに、あなたのもとには至れません。

そして、自分の源を知るためには、私はまずあなたにより私とひとつものもとして創造されたものを認識しなければなりません。

あなたへの道を行くとき、兄弟の手が私を導く手となります。

彼の罪は私の罪とともに過去にあり、過去は過ぎ去っているので私は救われています。

私が過去を自分の胸の中で大切にすることがありませんように。

さもなければ、私はあなたのもとへ歩むための道を失うでしょう。

兄弟は私の救済者です。

あなたが与えてくださった救済者を、私が攻撃することがありませんように。

御名を冠する兄弟を讃えさせてください。

そして、その名が私のものであることを思い出させてください。

 

だから今日、私を赦してほしい。

兄弟を聖性の光の中に見るとき、あなたは自分が私を赦したと知るだろう。

彼が私よりも神聖でないということはありえず、あなたが彼よりも神聖だということもありえない。

(全文)

(レッスン287)

肉体を生きる決心をしたときから、私は恐れを抱いて生きてきたのだ。

「奇跡講座」に出会わなければ確信が持てないことだった。

うっすらと感じていたけど、「肉体」じゃない感覚を持っていることはおかしいことだと思ってたし、確かめようがなくて黙っていた。

自分自身を肉体だと信じようとし、家族や友人も肉体だと見てきた。

それは「恐れ」によるつながりだったのだ。

自分も家族も友人も肉体を通さなくてよかったってことに安堵している。

「肉体」に磔にすることをやめられて自由さが蘇る。

「肉体」は夢だ。

崇めることも嫌うこともないものだ。

この世界のすべての「形」がそうなのだ。

それはただ、「空間」に置いておかれ、癒され、ゆるされ、くつろがれ、光に溶けるもの。

 

愛に溶け、愛そのものとして蘇る。

・・・

ワークブック

レッスン287

 

父よ、あなただけが私のゴールです。

 

・・・・・

天国よりほかに、私の行きたいところがあるだろうか。

何が、幸福の代替となりえるだろうか。

神の平安以上に、私が望む贈り物があるだろうか。

探し求め、見出し、自分のものにしておきたい宝として、私のアイデンティティーに匹敵するものがあるだろうか。

私は愛よりも怖れを抱いて生きたいだろうか。

 

父よ、あなたは私のゴールです。

あなた以外に何を得たいと願うでしょう。

あなたへと導く道のほかに歩みたい道があるでしょうか。

あなたについての記憶以外に、夢の終わりや、真理のむなしい代替の終わりを知らせてくれるものがあるでしょうか。

あなたは私のただ一つのゴールです。

あなたの子はあなたに創造されたままでありたいのです。

これ以上に、自分の自己を認識し、自分のアイデンティティーとひとつになれる道があるでしょうか。

(全文)

 

一択の道(レッスン286)

これまで自我の計画で生きてきた。

なので、自我的な体験をしてきた。

良い感じの思いも、その逆の思いも体験してきた。

よくよく観察すると、「罪悪」に留まっていて、「個人」の夢を見続けていた。

その夢があまりにもなじみ深かった。

自我の計画から一切手を引けるのか?

行きつ戻りつしながら、少しずつだった。

 

何にも計画立てず、純粋で新鮮な今に触れる意欲。

どちらにせよ、そのように促されているのは否めない。

一択で私には選択肢は最初からなかった。

抵抗をやめるだけなのだ。

力を抜くだけなのだ。

 

「今」という「空間」には真新しさと愛しかないのに、自我の主張が強い間は退屈さや虚無として受け取る。

自我はつまらないと不満。

怖くて逃げる。

居てもたってもいられなくなり、自我の計画で覆う。

 

覆うのをやめて、踏みとどまれるようになったのは、垣間見た「平安」の静けさの心地よさ。

自我の高揚感にほとほと疲れ、「今」に意欲を向けて、ようやく深い安らぎに落ちていく。

じんわりしっとりと満たされていく。

全体そのものだった。

 

・・・・・

ワークブック

 

レッスン286

 

今日、天国の静けさが私の胸を満たす。

 

・・・・・

父よ、今日は何と静かなのでしょう。

もの音一つたてず、すべてのものがあるべき場所に納まっていきます。

今日という日は、自分は何もする必要はないという学びを、私が理解するようになる時として選ばれた日です。

あなたの中では、すべての選択がすでに為されています。

あなたの中では、すべての葛藤がすでに解決されています。

あなたの中では、私が見つけたいと望むすべてが、すでに私に与えられています。

あなたの平安は私のものです。

私の胸には静けさがあり、私の心には安息があります。

あなたの愛が天国であり、あなたの愛は私のものです。

 

今日の静けさは、私たちがすでに道を見出し、完全に確かなゴールに向かってその道を遠くまで旅してきたという希望を与えてくれる。

今日、私たちは神ご自身が私たちに約束した旅の終わりを疑わない。

私たちは神を信頼し、今も神とひとつである私たちの自己を信頼する。

(全文)

(レッスン285)

自我の分厚い泣き叫びが消えて愛だけが残る。

 

強固な防衛からの正義感、競争心、特別感。

 

本当に邪魔なだけだったのに、どうしてもそこに居座っていた。

 

そこから離れたら、楽だった。

 

そうして、外側にはみ出ている夢から覚めて、愛の懐で愛に溶ける。

・・・

ワークブック

レッスン285

 

今日、私の聖性は明るくはっきりと輝く。

 

・・・・・

 

今日私は、神から幸福なことだけが訪れると期待して、喜びとともに目覚める。

私はそうしたものだけが訪れるよう求め、自分が招いた想念がその招きに応じて訪れるということを自覚する。

そして私は、自分の聖性を受け入れたその瞬間から、喜ばしきものだけを求めるようになるだろう。

狂気が去って、そのかわりに聖性を受け入れるなら、私にとって苦痛は何の役にも立たず、苦しみはどんな目的も達成せず、悲嘆や損実には何の効用もないからである。

 

父よ、私の聖性はあなたのものです。

私が聖性の中で喜ぶことができますように。

そして赦しを通して正気を回復できますように。

あなたの子は、今もあなたに創造されたままです。

私の聖性は私の一部であり、あなたの一部でもあります。

そして何が聖性そのものを変えられるでしょうか。

(全文)

(レッスン284)

開けっぱなしの扉のようでありたかったんだって、しみじみ気づいた。

 

純粋な好奇心だけで、毎瞬の新鮮さに触れて、心の奥が祝福する。

 

これ以上の幸福はなかった。

 

もうひとりぼっちの怖い夢から離れて、

優しい風を頬にうけ長閑に鼻歌歌っていよう。

 

・・・

ワークブック

レッスン284

 

私は、痛みをもたらすすべての想念を変えることを選択できる。

 

・・・・・

 

正しく知覚されるとき、損失は損失でなくなる。

苦痛はありえない。

原因のある悲観など全く存在しない。

どのような種類の苦しみも夢にすぎない。

これは真理である。

最初は、ただ口にされるだけだが、その後何度も繰り返され、次にかなりためらいながらも部分的に真実として受け入れられる。

それから徐々に真剣に考慮されるようになり、最後には真理として受け入れられる。

私は、痛みをもたらすすべての想念を変えることを選択できる。

そして今日、これらの言葉を超えて進み、

ためらいをすべて通り越し、言葉の奥にある真理の完全な受容にまで達したい。

 

父よ、あなたが授けてくださったものが痛みをもたらすことはありえません。

ですから、悲嘆や苦痛は不可能なはずです。

今日、私があなたへの信頼を揺るがすことなく、喜ばしきものだけをあなたからの贈り物として受け入れ、喜ばしきものだけを真理として受け入れられますように。

(全文)

 

(レッスン283)

愛の一部だと気づいたら、外の刺激がまやかしだと気づき手応えはなくなる。

 

偶像は偶像でしかなかった。

 

偶像を崇拝するとは、偶像を信じているということ。

 

掴まなくていいものを掴んで、それなのに満足できずに不機嫌になっていた。

 

掴むのではなくて、愛をもとに動きが動きとして表れているのを見る。

 

そのことにおおらかに開いたままでいる。

 

内側のままあること。

 

癇癪が消えて、静かに動きをなぞる。

 

なぞりながら、愛そのものとして溶け込む。

 

・・・

ワークブック

レッスン283

 

私の真のアイデンティティーは、神の中にある。

 

・・・・・

 

父よ、私は自分自身の虚像を作り出し、それを神の子と呼んでいます。

しかし被造物は不変であり、今も、これまで常にそうであった通りに存在しています。

私が偶像を崇拝しませんように。

私こそが、父に愛されている子です。

私の聖性は天国の光であり、神の愛するものであり続けています。

あなたに愛されている存在の安全は、確実なのではないでしょうか。

天国の光は無限なのではないでしょうか。

あなたが存在する一切を創造されたのなら、私の真のアイデンティティーが神の子でないということがあるでしょうか。

 

今や私たちは、共有されたアイデンティティーの中でひとつである。

父なる神を私たちの唯一の源とし、創造されたすべてを私たちの一部とする。

だから私たちは、存在するすべてのものを祝福し、赦しが私たちと一体にした全世界と、喜んでひとつに結ばれる。

(全文)