私の赦し、とは、「この世のルールで自分や人を裁く必要がない」と見抜くことでもある。
”罪悪”に基づいた「この世のルール」を信じ込んで、お互いを見張り合い、
ちょっとでも”間違い””ルール違反”を見つけたら鬼の首を取ったように責めまくる。
言葉や行動で責めなくても、心が「自分や人」を責めたてる。
この世界は罪悪が元になっているから、裁かないでいることはできない。
身体の健康や容姿、見た目のことから、
家庭内のルール、学校のルールや規則、社会の通念やルール、
環境への関わり方などへの「間違い探し」のパトロールに力を注いでいる。
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「間違い探し」は私たちの機能ではない。
私たちの機能は、「本当の私たち」を見合うこと。
「本当の私たち」に触れあうこと。
「本当の私たち」を讃え合うこと。
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まずは、身近なところから始めてみる。
自分や夫やパートナー、子どもたち、親、友達・・・・・。
「本当の姿」だけを見よう!と決めてみる。
その決意が心眼を育て始める。
私たちの関係性に「光」がにじみ出てくる。
その優しい「光」に溶け込んでいく。
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ワークブック レッスン82
復習
1・(63) 世の光は、私の赦しを通して、すべての心に平安をもたらす。
2・(64) 私が自分の機能を忘れずにいられますように。
私の赦しが、私自身とともに世界が癒されるための手段である。(1:4)
私は自分の真の自己を思い出したいので、自分の機能を忘れたくない。
もし忘れるなら、私は自分の機能を全うすることができない。
そして自分の機能を全うしない限り、私は神が私のために意図する喜びを経験することはないだろう。(3:2~4)
これは、私の自我を脅かすかもしれないが、私の機能をどのようにも変えることはできない。(4:4)
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