「自我」は言う。
「私は被害者だ!」と。
「私には力がないので、私の周りの人やものに幸せにしてもらう必要がある!」と。
そして、その思いは叶う。
人やものをずっと追いかけ、幸せの正解を求め彷徨う。
何故叶うのか?
それだけ「私」の想念には力があるから。
「自我」という想念を強化すればするほど、「自我」という分離の世界に巻き込まれる。
だけど、「自我」の世界は私たちの世界ではない。
「自我」をそっと脇に退けよう。
ただ通り過ぎるものとして、優しいまなざしで見送ろう。
正気に戻ろう。
・・・・・
ワークブック レッスン92
奇跡は光の中で見え、光と強さはひとつのものである。
あなたの内なる強さは光をもたらし、あなたが真に見えるように導くので、あなたは肉体の目が自己欺瞞のために提供する無益な幻影のもとに長居はしない。
あなたの中で強さと光がひとつになり、あなたの真の自己が、それらが出会うところであなたを自らのものとして抱擁しようと待っている。
そこが、今日私たちが見出して安らぎの場にしようとしている出会いの場である。
あなたの真の自己である神の子が自らと再び出会い、ひとつになれるのを今も待っているその場所に、神の子の平安があるからである。
(9:1~3)
肉体の目を閉じ、自己が自己に出会う場所、すなわち光と強さがひとつである場所の見つけ方を教えてくれるように、真理に求める。
(10:4)