いつでも心に戻る。
単純なこと。
今、部屋の中の電灯と形や本の羅列やクーラーが起動しているそれ自体と一緒になった。
それはどこまでも深い安らぎ。
窓や窓の外の空と一緒になった。
深い深い安らぎ。
小さな観葉植物と一緒になった。
優しさと安らぎ。
下で仕事してる娘と一緒になった。
優しさと愛。
心は愛の源に捧げられている。
もう、何も決めない。
そのまま溶け込む。
・・・・・
ワークブック
レッスン199
私は肉体ではない。私は自由である。
・・・・・
心が自由になれるのは、自らを肉体の中に存在するものと見なさなくなったときであり、自分が肉体にしっかりと固定され、肉体の存在によってかくまわれていると思わなくなったときである。
(1:4)
聖霊に仕える心は、あらゆる面で永遠に無限である。
時間や空間の法則を超越し、どんな先入観にも縛られす、求めることなら何でもできる強さと力がある。
そうした心には攻撃の想念が入り込めない。
その心は愛の源に捧げられており、愛とひとつになった心にはどんな怖れも侵入できないからである。
それは神の内に休らう。
無垢性そのものの中に生き、ただ愛するだけの者に、どうして恐れがありえるだろう。
(2:1~4)
この概念が自我にとってはまったく狂気だということは気にかけずにいなさい。
自我は肉体の中に住み、自分が作り出した家と一体化して生きているので、肉体を非常に大切にする。
肉体は、自我自身が幻想だと発見されないように自我をかくまってきた幻想の一部だからである。
(3:2-4)
ここに自我は隠れており、ここに自我の正体が見てとれる。
あなたの無罪潔白を宣言しなさい。
そうすれば、あなたは自由になる。
そして肉体は消え去る。
なぜなら、あなたには肉体に関して聖霊が見ている必要性しかなくなるからである。
その必要を満たすために、肉体は、心が為すべきことに役立つ形で現れるだろう。
そのようにして肉体は一個の器となり、神の計画に従って、赦しが到達すべき包括的ゴールに向かって延長されていくのを助けるものとなる。
(4:1-5)
聖霊は、自由を求める心たちの住む家である。
心は探し求めてきたものを聖霊の中に見出した。
肉体の目的は今や明確である。
それは統一されたゴールのために仕える完璧な能力を備えたものとなる。
自由の想念だけをゴールとする心に対し、肉体は葛藤をもたず明確に応え、その目的にうまく仕えるようになる。
束縛する力をなくした肉体は、聖霊の内にいる心が追及する自由のために働く貴重な僕である。
(6:1-6)
今日は自由でありなさい。
そして、まだ自分たちが肉体につながれていると信じている者たちに、あなたからの贈り物として自由を運びなさい。
あなた自身が自由でありなさい。
(7:1~3)
あなたは神の子である。
あなたは不死性の中で永遠に生きる。
(8:1.2)