悲観する必要はまったくありませんでした。
「怖い事」が起こるという思いは、自分の思考の仕業でしかありません。
私たちの本性を思い出すだけです。
自分も、周りの人も、誰一人として、この真実が当てはまらない人はいません。
そのことを真っ直ぐ認めるだけでいいのです。
上も下もない、皆、対等ですし、皆、ひとつですし、皆、愛です。
ただ、この事実を思い出すだけ。
これ以上の安らかさ、
これ以上の清々しさはありません。
・・・・・
ワークブック レッスン107
真理は、私の心の中のすべての誤りを訂正する。
真理以外に何が、幻想を訂正できるだろう。
そして、誤りとは、その正体が認識されていない幻想以外の何だろうか。
真理が訪れたところでは、誤りは消え去る。
それらを思い出させる痕跡すら残さず、ただ消滅する。
誤りは、信じられなければ、生命をもたないので、ただ消えてしまう。
(1:1~5)
幻想をもたない心の状態がどのようなものなのか、あなたには想像できるだろうか。
それはどのように感じられるだろうか。
わずか一分か、それ以下の時間だったかもしれないが、あなたが平安を邪魔するものが何一つなかったときのことや、自分は愛されていて安全だと確信していたときのことを、思い出してみなさい。
それから、その瞬間が、時間を超えて永遠に届くまで引き延ばされたらどうなるか、想像してみなさい。
それから、あなたが感じたその静かな感覚を百倍にし、それからさらにもう百倍にしてみなさい。
(2:1~5)
そうすればやっと、あなたは真理が訪れたときに自分の心がどのような状態に休らうことになるのかを、限りなく微かにではあるが、推し量る手がかりを得たことになる。
幻想がなければ恐れはなく、疑いも攻撃もない。
真理が訪れたとき、あなたの心には移り変わる想念や生命なく概念が残る余地はないので、すべての苦痛がなくなっている。
(3:1~3)
真理がひとたび訪れたなら、少しの間とどまっただけで姿を消したり、何か別のものに変化したりすることはない。
それは形を変えてみたり、訪れたかと思えば去っていき、また再び訪れるといったことはしない。
それはこれまでと全く同じであり続け、必要なときにはいつでも頼りになり、世界が提示する外観が生み出すあらゆる困難や疑いのように見えるものの中にあっても、完璧な信頼感を抱いて頼りにできるものであり続ける。
真理があなたの心の中の誤りを正すとき、困難と見えていたものはただ雲散霧消する。
(4:1~4)
真理が訪れるとき、その翼の中に抱いてくるのは、完璧な恒常性という贈り物と、苦痛に直面してもひるまずそれを超えたところを確信をもってじっと見続ける愛である。
ここにこそ、癒しの贈り物がある。
真理は防衛を必要とせず、したがって、攻撃は不可能だからである。
幻想が真理のもとへ運ばれて正されることは可能である。
しかし真理は幻想からあまりにかけ離れたものなので、真理を幻想の中に持ち込んで、幻想を真理に変えることはできない。
(5:1~4)
真理が隠れることはない。
それは明るい光の中に存在し、そこに近づくための道は明白である。
真理を真摯に探し求めて、それを見つけられない者はいない。
(6:2.3)
私たちは、自分がもっていないものを求めるのではない。
自分のものを、自分のものと認識できるように、自分に属するものを求めているだけである。
(7:1.2)
まずこれを行うときあなたとともに行く聖なる存在に、一緒に歩む道すがらその存在をあなたが自覚していられるようにしてほしい、と頼むことから始めよう。
あなたは、骨と血と肉でできているのではなく、その存在に生命の贈り物を与えた想念とまったく同じ想念によって創造された。
その存在はあなたの兄弟であり、父が知るあなたとまったく同じものなので、あなた方は二人とも同じものである。
ともに歩んでくれるようにとあなたが頼んでいるその存在とは、あなたの真の自己なのだから、あなたのいるところにその自己がいないということがあるだろうか。
(8:1~4)
あなたが自己から離れていることが可能だと教える心の中のすべての誤りを、真理は正してくれる。
あなたは、今日、その自己に話かけ、彼の機能をあなたを通して全うさせる誓約をする。
彼の機能を共有するということは、彼の喜びを共有することである。
あなたが次のように言うとき、彼の確信はあなたとともにある。
真理は、私の心の中のすべての誤りを正す。
そして私は、私の自己の中で休らう。
(9:1~5)
今日はあなたの機能を忘れてはならない。
「真理は私の心の中のすべての誤りを正す」と自信をもって言うたびに、あなたは全世界を代弁して語り、あなた自身を自由にすると同時にこの世界を解放しょうとする存在を代弁して語っているのである。(11:1.2)