肉体とマインドが自分だと思い込むことで、真理を遠退けていたなんて、最初は理解できなかったけど、
心が静まっていくと徐々に思い出されていった。
肉体を罪悪の象徴として扱っていたのは私なのだった。
私の決断で、肉体とマインドを作り出し、
その上それをリアルにするために病気をも作り出したのだった。
肉体とマインドにかまけていて、意識に戻る余裕などないと思い込んでいたけど、
意識に戻ることが最優先だし、それ以外は生きていることにはならないと理解できていっている。
肉体とマインドにかまけている間は夢を見ているということなのだ。
それは実体がないゆえに不確かで不安定で、動揺させ続けるもの。
もう夢見はいいかなと。
意識へと戻る。
静かに戻る。
注意深く戻る。
それ以外のリアルはないし、意識の主体にある聖霊と共にいることが、唯一のリアルであり、至福なのだ。
何もいらない。
必要なかった。
ここだった。
・・・・・
レッスン136
病気は真理に対抗する防衛である。
すべての防衛が狙いとしていることは、真理を全一でないものにしておくことである。
そこでは、それぞれの断片が、あたかもそれ一つで全一であるかのように見なされる。
(2:4.5)
防衛は無意識的なものではなく、自覚せずに行われるものでもない。
それは、あなたの信じたいことが、真理によって脅かされるかに見えるときに、あなたが振り回す秘密の魔法の杖である。
それが無意識のもののように思えるのは、あなたがあまりに素早く防衛することを選択するからにほかならない。
その選択が下されるほんの一秒、否、それ以下の瞬く間に、あなたは自分が何をしょうとしているかをはっきりと認識し、その後、そうなってしまったと考え始める。
(3:1~4)
あなた自身以外の誰が、脅威の程度を推し量り、脱出策が必要だと決断し、実在すると判断された脅威を緩和するために一連の防衛策を講じたりするだろうか。
こうしたことはすべて、無意識に行えるようなことではない。
しかしそれを行った後で、あなたの計画は、あなたが自分でその脅威を作り出したことを忘れるようにと要求する。
忘れることで、それがまるであなた自身の意図の外側にあるように見える。
(4:1~3)
防衛が自分に制御できないもののように見えるのは、自分の「現実」を作り上げるときに自分が果たす役割をこうして速やかに忘れ去っているからである。
しかし、忘却により二重の盾で守られるようになった決断を再考してみようという意欲があれば、自分が忘れたものを思い出すことはできる。
あなたがそれを覚えていないということは、あなたの願望に関する限り、この決断にはいまだに効力があるというしるしにすぎない。
防衛は、必ず事実を認識不可能にする。
(5:1~5)
病気は一つの決断である。
(6:1)
神の意志を変えようとするあなたの計画を、神は知らない。
宇宙は、あなたが宇宙を統治する手段とするつもりだった法則には無頓着である。
また、天国が地獄の前に頭を垂れたことはなく、生命が死に屈したこともない。
あなたにできるのはただ、自分が死んだり病気を患ったり、何らかの形で真理をねじ曲げたりすると考えることを選択する、ということだけである。
創造されたものは、これらすべてとは縁もゆかりもない。
防衛とは、攻撃不可能なものを打ち負かそうとする計画である。
不変なるものが変わることはありえない。
そして、まったく罪と無縁のものが罪を犯すことはありえない。
(11:1~8)
そして真理は、自分の武器を捨て、愚かな戯れをやめようとするどの心にも訪れる。
それはいつでも見つけられる。
あなたが真理を歓迎する練習を選択するなら、それは今日にでも可能なことである。
(14:2.3)
病気は真理に対抗する防衛である。
私は自分の本性についての真理を受け入れ、私の心を今日、完全に癒してもらう。
(15:6.7)
あなたにはよく理解できないかもしれないが、このことが、あなたが与えた目的によって肉体に課せられていた限界を取り除く。
そうした限界が退けられるとき、肉体は真に有用な目的のために、充分な強さで働けるようになる。
時間や天候や疲労、食べ物や飲物、そのほか、あなたが以前に肉体を隷属されたどんな法則によっても限定されないことにより、肉体は完全に健康を保証される。
病気はありえないものとなったので、今やあなたは肉体を健康にするために何もする必要はない。
(18:1~4)
しかし、この保護は、注意深く見守ることによって保持されなければならない。
もしあなたが自分の心に攻撃的な考えを抱いたり、何かを裁いたり、予測のつかない状況に対処するための計画を練ったりするなら、そのような心は病んでいるのだから、あなたは再び自分を間違った場所に置き、自らを肉体と同一視したのであり、それは、肉体を攻撃することになる。
(19:1~2)
私は自分が肉体だと誤解し、自分が本当は何なのかを忘れていた。
病気は真理に対抗する防衛である。
しかし私は肉体ではない。
そして私の心は攻撃することができない。
だから私が病気になることはありえない。
(20:3~7)