分離の世界が提供する不確かさの正反対を受け入れる。
喜びって無条件。
ひとつもこの世界が主張している条件は必要がない。
そして、私が喜びなら、周りの人もすべて喜び。
素直に神の子の自覚を受け入れるだけ。
以前は受け入れたくても、頑なに「思考」が「そんなこと信じられない」と言い張っていたし、神の子としてふさわしくなるためには「思考」を正す必要があると思っていたけど、そもそも「思考」は正せない。
ただ「思考」を看過する勇気だけが必要だった。
そして、自分だけではなく、間接的に入ってきたすべての人の「思考」をも、全部、看過することなのだ。
コースの実践のおかげで、これらの意味が腑に落ちて、「思考」を優しく愛でられるようになってきた。
軽い。
嬉しい。
ありがとう。
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ワークブック
レッスン166
私には、神の贈り物がゆだねられている。
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今こそ私たちは生きる。
今や死はありえないからである。
死を求める願望には答えが与えられた。
死を見ていた視覚は今、これまでの偽装していたあなたではないことを知覚する心眼へと入れ替わった。
あなたがどんな怖れを抱こうとも、ただ一言「そうではない」と慈悲深く、やさしく答える存在が、あなたとともに歩いている。
その存在は、あなたが貧困という概念に圧迫されるたびに、あなたのもっている贈り物のすべてを差し示す。
あなたが自分を孤独でおびえた者として知覚するときには、あなたには旅の同伴者がいると語りかける。
(11:1~4)
それらの贈り物はあなたのものであり、あなたが逃げてきた寂しい道を選んだすべての者に与えるようにと、あなたにゆだねられている。
彼らは自分が願った道をすすんでいるだけだということを理解していない。
彼らにこれから教えるのはあなたである。
あなたはキリストから、彼らが歩むもう一つの道があることを学んだからである。
(13:1~3)
キリストが触れるのを感じることで誰もが与えられるものについて、生きて証しする者となりなさい。
神はすべての贈り物をあなたにゆだねている。
神の贈り物を受け入れ、キリストの感触を体験することを選択する心がどれほど大きく変容するかを、あなたの幸福によって証ししなさい。
これが、今やあなたの使命である。
神はご自身の贈り物を受け取ったすべての者に、今度はそれを与える任務をゆだねるからである。
神はご自身の喜びをあなたと共有してきた。
だから今度は、あなたがそれを世界と分かち合いにいく。
(15:1~8)