赦したくないのは、自分だけ損しているという感覚があった、すなわち欠乏意識を握りしめていたということと、やはり「ひとつ」になりたくないという感覚でした。
赦されてしまうことを赦さない感じ。
肉体の視覚からは、「ひとつ」であるなんて、とうてい不可能に思えていた。
肉体の言い張りを退けるために、この世界のあらゆることを使う。
この意欲が肉体の視覚から解放をもたらしてくれた。
天は自ら助くる者を助く、とはこのことなんだろうな。
本当に自分を助けるとき、全ての兄弟を助けることになる。
平安。
・・・・・
ワークブック
レッスン193
すべてのものごとは、神が私に学ばせようとするレッスンである。
・・・・・
だから彼には、その誤った視覚を訂正できる存在が必要である。
(2:3)
赦しなさい。
そうすれば、あなたはこれを違った見方で見るだろう。
(3:7)
確かに、すべての苦悩が赦そうとしない思いであるようには見えない。
しかし、形の奥にある内容はそれである。
この同一性が学びを確実なものにするが、その理由はこのレッスンがあまりに単純であるため、最後には拒否できないからである。
これほど明らかな真理から永久に隠れおおせる者はいない。
無数の形態で現れるとしても、もし人がそこにこの単純なレッスンを見たいとさえ思えば、それはどの形態のうちにも簡単に認識される。
(4:1~4)
神の子は自分が誰であるか覚えていない。
だから神は、ご自身の愛とその愛がもたらすすべての贈り物をわが子が忘れることのないようにする。
(8:3.4)
神があなたに学ばせたいと望んでいるレッスンは次の通りである。
すなわち、あらゆるものごとを見るとき、そのすべてを神へ、そして世界の救済へと近づくもう一歩にすることができるような見方である、ということである。
恐怖を語るすべてのものごとに対し、次のように答えなさい。
私は赦す。
だから、これは消えていく。
すべての不安や心配、そしてあらゆる形の苦しみに対し、この同じ言葉を繰り返そう。
そうすればあなたは、天国の門を開き、父なる神の愛をついに地上にもたらし地上を天国へと引き上げる鍵を手にすることになる。
神がこの最後の一歩を踏み出してくれる。
神ご自身へ向かって踏み出すようにと、神があなたに求める小さな一歩一歩を神に拒んではならない。
(13:1~7)