ありゃりゃ・・・・
自我の夢の世界にどっぷりと浸かり、自我の世界をリアルにし続けてきて、それでも随分抜けたと思っていたけど、まったくだった。
自我の世界に苦笑いはできても、心からウケるように軽くはなってない。
自我の世界を重々しく受け取り、深刻に関わってしまっていた。
高笑いできるほど、癒されていない。
拗ねがとぐろ巻いていた。
無理くりすることではないし、できない。
動揺に気がついたら、ただ「ひゃ~~~ん」って感じるだけだ。
サレンダーして、心に戻ってくつろぐ。
責めない。
間違いはただ見過されていくもの。
間違いも正しいもない。
そもそもそれは何の力もない、ただの夢。
「わからない」「すべては良きこと!」の中でハミングしょう。
愛に生かされているままでいよう。
・・・・・
ワークブック
レッスン211
復習
1.(191) 私は神ご自身の聖なる子である。
神が私の自己として創造した神の子の中に神の栄光を見るために、私は沈黙と真の謙虚さの中で、それを探す。
(1-2)
レッスン191
時間の始まりから死の儀式のこだまを響かせてきた往古の暗い洞窟を一つ残らず、奇跡が明るく照らし出した。
時間が世界を拘束する力を失ったからである。
栄光に包まれた神の子が訪れ、失われていた者たちを贖い、よるべなき者たちを救い、世界に彼の赦しという贈り物を与える。
ついに再び、神の子が世界を自由にするためにやってきたとき、闇に覆われた罪深い世界を見ていられる者がいるだろうか。
(8:1~4)
あなたは虚しい希望と荒廃した夢を抱き、涙を流し、痛みに苦しみ、ただ死ぬだけのために生まれ、自分をひ弱で壊れやすいものと知覚しているが、よく聞きなさい。
あなたには地においても天においてもすべての力が与えられている。
あなたにできないことは何もない。
あなたは死のゲームに興じ、自分に対し無慈悲な世界で、哀れにも破滅に向かう無力な者を演じている。
しかし、もしあなたがそこに慈しみを授けるなら、その慈しみはあなたの上に輝くだろう。
(9:1~4)
だから神の子を眠りから目覚めさせ、その神聖な目を開き、彼が自分で作り出した世界を祝福するために戻ってこさせよう。
誤りの中で世界は始まったが、彼の聖性の反映の中でそれは終焉を迎える。
そして、彼はもはや眠ることも、死の夢をみることもない。
だから今日、私につながりなさい。
あなたの栄光がこの世界を救う光である。
これ以上、救済を与えずにおいてはいけない。
世界を見渡し、そこで苦しんでいる者たちを見なさい。
あなたの胸は、疲れ果てた兄弟たちに休息をもたらしたのではないだろうか。
(10:1~8)
彼らは、あなた自身が解放されるまで待たなければならない。
あなたが自由になるまで、彼らは鎖につながれたままである。
あなたが自分の内に慈しみを見出すまで、彼らは世界の慈しみを見ることはできない。
あなたが痛みに支配されることを拒否するときまで、彼らは痛みに苦しむ。
あなたが自らの永遠の生命を受け入れるまで、彼らは死にゆくものである。
あなたは、神ご自身を父にもつ聖なる神の子である。
このことを思い出すなら、全世界は自由になる。
このことを思い出すなら、天と地はひとつになる。
(11:1~8)