私という自我の考えは、
自我が作り出した世界用のものなので、
自我の世界的にはとても役に立ってきた。
自我の世界は「防衛」とそのための「取引き」で成り立っていて、
それと同様に、私の考えは「防衛」と「取引き」という機能だった。
だから、「犠牲心」が当たり前だった。
「犠牲」の居心地の悪さから逃れたい。
だけど、自我は、今すぐに「安らぎ」を選ぶなんてできないよ、と言い張る。
自分でどうにかしなきゃって思うけど、そうすれば、自我に留まることになる。
過去と未来に張り付いて、今に居られない。
それはいつも脅かされている。
そして、自分でそこから抜け出そうと、色々試みる。
そしてまた、自分で舵を取って、時間に張り付く。
もう、やめよう。
何にも出来ないし、何もする必要がないのだ。
ただ手を離す。
自分の人生だと思い込んでいるものから、目を離すだけ。
ノイズの去ったその奥に、静けさと全てがある。
一度、全てを体験すれば、ここだけがリアルだと喜びがわく。
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ワークブック
レッスン210
復習
1.(190) 私は苦痛のかわりに神の喜びを選択する。
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苦痛とは私自身の考えである。
それは神の想念ではなく、神からも神の意志からも離れて私が考えた想念である。
喜びが神の意志であり、喜びだけが愛するわが子に対する神の意志である。
だから私は自分が作り出したもののかわりに、喜びを選ぶ。
(1:2-4)
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