「咎め」に留まろうとしていたけど、
そこに留まろうとするのをやめて、
とにかく、どこにも留まろうとせずに、
ただ落ちてゆく。
この世界に何か意味を持たないままで、
ただ落ちてゆく。
なんの判断もせず、計算もせず、駆け引きもせず、
何がなんだかわからないまま、
ただ落ちてゆく。
落ちてゆくほどに、ゆだねていく。
また、「咎め」と「欲求」はセットだったのだなぁと。
「欲求」とは、足りなさを演出して、自分を「咎め」ていることになる。
「欲求」が湧いたら、そこにも留まらず、ただ落ちてみる。
そうして「欲求」が消えたら、それでいいし、消えなかったら、純粋に「欲求」に従ってみる。
そして、そこに安らぎとなんでもなさ、「空(くう)」が拡がる。
ゆだねた先のパラダイス。
・・・
ワークブック
レッスン218
復習
1.(198) 私の咎めだけが私を傷つける。
私の咎めが私の心眼(ビジョン)をくもらせる。
見えない目によって、私の栄光の霊視映像(ビジョン)を見ることはできない。
しかし、今日、私はこの栄光を見て喜ぶことができる。
(1-2.3)