恐怖を煽るようなニュースやドラマ作品などに、最初はむきになって怒っていたし、裁いていたけど、
そんなことする必要はなかったんだなぁって。
よく考えたら、
それらはどうしたってあり得ないこと。
作られた物、
まがい物だし、
そして、
全部が、元は「愛」だから、
特に何の問題もなかった。
どこにも問題はない。
全部、優しさであり、
全部、神聖な光。
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ワークブック
レッスン250
私自身を、限られた者として見ることがありませんように。
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今日、神の子を見て、彼の栄光を証言しょう。
彼の中の神聖な光を陰らせ、彼の強さが衰えて虚弱となるのを見ようとするのはやめよう。
また、彼の中に欠乏を知覚して、それを理由に彼の主権を攻撃しようとするのはやめよう。
父よ、彼はあなたの子です。
今日、私は自分の幻想のかわりに、彼の優しさを見たいと願います。
彼は私自身であり、私は、彼を見る通りに自分自身を見ます。
今日、ついに彼と自分を同一視できるように、私は真に見たいと願います。
(1・2)
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ワークブック編 第2部(P495)
4.罪とは何か?
狂人の夢はぞっとするほど恐ろしく、罪は身の毛がよだつほど怖いものに見える。
だが、罪が知覚するものは、幼稚なゲームにすぎない。
神の子は戯れに、邪悪さと罪悪感の餌食である肉体となって、
死ねば終わるはかない生命と化した、というふりをすることはできる。
しかしその間も父の光は彼を照らし、彼がどんなに偽装しても微塵も変わらぬ永遠の愛をもって、彼を愛している。
(4:1-4)
神の子よ、あなたはいつまで罪のゲームを続けるつもりなのだろう。
こうした刃先の鋭い玩具を片づけようではないか。
あなたはいつになったら故郷に帰る用意ができるのだろう。
それは今日だろうか。
罪は存在しない。
被造物は不変である。
それでもまだ、天国への帰還を咳に延ばしたいのだろうか。
ああ、聖なる神の子よ、
いったいいつまで、あなたはそれを続けたいのだろう。
(5:1-8)