つい、外の人や、場所や、状況の中に「安全」を探しそうになるし、
そこに「安全」を確保しょうとする。
人の評価を気にし、顔色をうかがったり、無理しようとする。
とたんにオロオロと不安になり、心許なくなる。
だけど、そんなときは、すぐ思い出そうと思う。
心の中にある避難所を。
ここはずっと確かさとして在る場所。
そして、ここはすべての人の中と同じであり、共有しているところ。
いつもここに帰ろう。
けっして自分個人を強化し守るための場所ではなくて、
すべての人が最初から棲んでいる砦へ。
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ワークブック
レッスン261
神は私の避難所、安全の砦である。
私は、自分の避難所や安全の砦だと思えるものと一体になる。
自分の強さを知覚できるところ、そして安全な砦の中に住む自分は決して襲撃されないと思えるところに、自分自身を見る。
今日は、危険の中に安全を探したり、殺意ある攻撃の中に平安を見つけようとするのはやめよう。
私は神の中で生きている。
神の中に自分の避難所と自分の強さを見出す。
神の中に私のアイデンティティーがある。
神の中に永遠の平安がある。
そこにおいてのみ、私は自分が本当は誰であるかを思い出す。
私が偶像を探し求めることがありませんように。
父よ、私は今日、わが家であるあなたのもとに帰りたいのです。
私は、あなたに創造されたままの私でいることを選択し、あなたが私の自己として創造された神の子を見出します。
(1・2)
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奇跡講座・ワークブック編
5.肉体とは何か
肉体とは、神の子が自らの自己のいくつもの断片をそれぞれ切り離しておくために、自分で築いたと思い込んでいる囲いである。
彼は自分がこの囲いの中で生き、いずれそれが朽ちて崩れ去るときには自分も死んでいくと思っている。
この囲いの中にいれば愛を締め出しておけるので、自分は安全だと思っている。
自分の安全と一体感をもつことで、彼は自分が安全な囲いそのものだと考える。
そう考える以外にどのようにして彼は、確実に肉体の中にとどまり、愛を外に締め出しておけるだろう。
肉体は持続しない。
だがこのことを、彼は二重の安全性と見る。
なぜなら、神の子が不滅でないということは、彼の囲いがうまく機能し、彼の心が囲いに与えた任務を果たしている「証拠」だからである。
もし彼の一体性がもとのまま存続しているとなれば、攻撃する者も攻撃される者も存在しえない。
誰も勝者となることはない。
勝者の餌食となる者もいない。
犠牲者もいない。
殺害者もいない。
そして彼が死ぬことがなかったなら、永遠なる神の子が破壊される可能性を示す「証拠」となるものは何もないことになる。
肉体は夢の一つである。
ほかの夢と同様に、肉体も時には幸福を描き出すように見えるが、突如として、あらゆる夢の根源である恐れへ逆戻りすることがある。
というのも、真理においてはただ愛が創造するのみであり、真理に恐れはありえないからである。
恐れを抱くものとして作られた肉体は、与えられた通りの目的に仕える。
しかし肉体が何のためものもかという考えを変えれば、肉体が従う目的を変えることができる。
肉体は、神の子が正気に戻るための手段である。
それは出口のない地獄に彼を閉じ込める囲いとして作り出されたが、すでに天国というゴールが、地獄での探求と入れ替わっている。
神の子は兄弟に手を差し伸べ、自分と一緒に道を歩むようにと兄弟を助ける。
そのとき肉体は神聖である。
心を葬り去るために作り出された肉体が、今や、心を癒すのに役立つようになる。
あなたは、自分を安全にすると思うものと一体感をもつ。
それが何であれ、あなたはそれが自分と一体だと信じる。
あなたの安全は真理の中にあり、偽りの中にはない。
愛があなたの安全である。
恐れは存在しない。
愛と一体化すれば、あなたは安全である。
愛と一体化すれば、あなたはわが家に帰っている。
愛と一体化して、あなたの自己を見出しなさい。
(全文)