それを信じているからそれを見る。
不安定な世界を信じているから不安定さを見ているのだから、不安定な世界をすこしも思い煩う必要はない。
ただ不安定さには不安定さが伴うというだけのこと。
動揺の世界は動揺が起こる。
これはとても当たり前のこと。
その世界から目を離したくない理由は、離してしまうと「ゆるされてしまう」から。
どちらにせよ、ゆるされているのだから、それに抵抗するのはやめて素直になろう。
そうして、不安定な世界は優しく見抜かれていく。
自愛のまなざしが夢を終わらせる。
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ワークブック
レッスン312
私はあらゆるものごとを、自分が望む通りのものとして見る。
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知覚は判断に従う。
すでに判断したからこそ、私たちは自分が見たいと思ったものを見る。
視覚は、私たちが望むものをもたらすために働くしかないからである。
自分が見たいものを見過ごすことも、自分で見ると選択したものを見損なうこともありえない。
見るときに聖霊の目的を自らのゴールとする者の神聖な視覚には、確実に実相世界が訪れることになる。
そして彼は、キリストが見せようとするものを決して見落とすことはなく、自分が見ているものに対するキリストの愛を必ず共有する。
今日、私の目的は、自分で下したすべての価値判断から解放された世界を見ることだけです。
父よ、これが私に対するあなたの意志であり、だからそれは私のゴールでもあるはずです。
(全文)