私が、愛を受け取ることができますように。
兄弟を通して、余りあるほどのあふれる愛を受け取ることを拒みませんように。
この抵抗を感じ、そのままにして、それが消え去さられるままにします。
どうぞ、これ以上、神聖性を拒みませんように。
数々の言い訳を手放して、愛にふさわしいことを認めることを受け入れます。
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ワークブック
レッスン315
私の兄弟が与える贈り物はすべて、私にも属する。
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毎日、過ぎゆくどの時間にも、数限りない宝物が私にもたらされている。
私は一日中、自分が思い描ける一切の価値を凌駕するほどの贈り物によって、祝福されている。
ひとりの兄弟がもうひとりに向かって微笑み、私の胸は喜ぶ。
誰かが感謝や慈しみの言葉を語り、私の心はこの贈り物を受け取って自分のものとする。
そして神への道を見出す者は誰でも私の救済者となり、その道を私に指し示し、彼が学んだものは必ず私のものであるという彼の確信を、私に与えてくれる。
父よ、すべての神の子から、毎日、私にもたらされる多くの贈り物について、あなたに感謝します。
兄弟が私に与えてくれる贈り物には限りがありません。
今、私が彼らに感謝の気持ちを差し出すことができますように。
そうしてその感謝が、創造主とその記憶へと私を導いてくれますように。
(全文)
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(2020.1.9 のつぶやき)
永い間、どうにもこうにも、この世界の出来事や人との関わりにおいて、怒りが出ても涙が出ても、心の芯には届いていないような、凍結しているような、なんとも虚しい感覚しかなかったから、だからこそ、生命、生きている意味をどうしても知りたくて、こうして真理を追い求めてきた。
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心が動かなかったのは、動かないところを見ていたからで、動かしようがなかったのだ。
なぜ動かしようがないのか?と言えば、この世界は夢なのだから・・・と心の芯では氣づいていて。
消える夢に動揺しても、真に心は動かないのは当然。
動かすのが不可能なところで動かそうとして、そうして自分の心が動かないことで、そんな自分を「罪人」に仕立てあげていたんだなぁ~と。
「罪人」で、自分を責めるためなら、理由は何でもよかったのだった。
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そして心は大いに動いていた。
動く部分に対しては、ちゃんと動いていた。
それは、自分と兄弟すべての中にある「真の自己」に対してだ。
それが隠されているからといって、失われているわけではない。
「真の自己」のみが実在する。
そこから表れる微笑みにのみ、自然と微笑みが湧き上がる。
その自然さの中で、ただただ寛ぐ自分をゆるしていこう。