2020・2・2
レッスン2
この部屋の中に《この路上に、この窓の外に、この場所に》見えているあらゆるものに、私にとっての意味のすべてを与えたのは、私自身である。
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この概念の演習も、最初の演習と同じように行う。
(1:1)
特定の何かを含めようとしてはいけないが、
何かが特定に除外されることもないように気を付ける。
(2:5)
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・このクッションに、
・このノートに、
・この顔に、
・このタオルに、
・あのTVに、
・あの冷蔵庫に、
・あの風景に、
・あの家に、
私にとっての意味のすべての与えたのは、私自身である。
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このレッスンでは「被害者意識」というか不満を感じました。
赤ちゃんや子供のころに親に、「これは鉛筆」「これは車」と教えられてきた。
だから、これらに意味を与えたのは親で、私ではない、、、、、と。
それでも、親からの教えに引き続き、
私自身が、
これは私にとってこういう意味、ああいう意味と、続けてきました。
これは重要、あれは重要ではない、
「特別」なものと「特別」でないもの、
というような優劣の意味など。
「ラベル」の作業を延々としています。
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その後に、今日の学びに関連する言葉はないかなぁと、
テキストを開いてみました。
第21章 序 1~7
1. 投影が知覚を作り出す。あなたの見えている世界は、
あなた自身がそこに与えたものであり、それ以上のものではない。
しかし、それ以上ではないとはいえ、それ以下でもない。
したがって、あなたにとって、それは重要である。
それはあなたの心の状態を証しするものであり、内的状況の外的映像である。
人はその心に思うごとく知覚する。
だから、世界を変えようとするのはやめなさい。
そうではなく、世界についてのあなたの心を変えることを選びなさい。
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「世界がついて」の意味づけをしているのは私の”心”なんですね?
それは、私の心をそのまま映しているということなんですね?
このワークを続けてみます。