2020.2.6
レッスン6
私が動揺しているのは、存在しない何かを見ているからである。
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ここでも、概念の適用の際には、
動揺の形(怒り、恐れ、心配、憂鬱感など)にも、
その源だと知覚されるものにも、はっきりと名前をつけることが必要である。
私が○○について腹を立てているのは、存在しない何かを見ているからである。
私が○○について心配しているのは、存在しない何かをみているからである。
(1:1~5)
今日の概念は、あなたを動揺させるように思えるものなら何にでも適用できるし、
そうした目的のために一日中いつでも使えば有益である。
しかし、一日三~四回の必修の練習時間には、これまでと同様に、
一分ほど心の中を探索することから始め、
その間に見つかった動揺をもたらす考えの一つひとつに、
今日の概念をあてはめなければならない。
(2:1~2)
ここでもまた、動揺をもたらす考えの中でも特に、
この概念を適用したくないと感じられるものがあれば、
前回のレッスンで述べた二つの注意事項を思い出すとよい。
小さな動揺というものはない。動揺はみな、等しく、私の平安を乱すものである。
それから
この形の動揺を持ち続けながら、ほかの動揺を手放すことはできない。
だから、この演習のために、すべての動揺を同じものと見なそう。
(3:1~5)
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・私が祖父について腹を立てているのは、存在しない何かを見ているからである。
・私が先生について怒っているのは、存在しない何かを見ているからである。
・私が身体の痛みについて怖がっているのは、存在しない何かを見ているからである。
・私が育児について自責の念があるのは、存在しない何かを見ているからである。
・私が人間関係について憂鬱さがあるのは、存在しない何かを見ているからである。
・私が仕事について億劫さがあるのは、存在しない何かを見ているからである。
・私がお金について恐怖があるのは、存在しない何かを見ているからである。
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見ているようで、
全く見ていない。
何にも見ていない。
そっか、
何も見ていなかった。
本当はそこに無いものだから、
動揺していたのだ!!
「平安」でないもの。
「全体」でないもの。
「愛」でないもの。
これらは、動揺を引き起こす。
だけど、リアルじゃない。
この知覚を手放したい。