2020.2.15
レッスン15
私の考えは、私が作り出した形象(イメージ)である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたが自分の考えは無であると認識していない理由は、
自分で考えていると思っている考えが形象(イメージ)となって現れるからである。
あなたは自分がそれらのことを考えていると思っており、
だから自分がそれらを見ていると思っている。
このようにして、あなたは「見る」ようになった。
これが、あなたが自分の肉体に与えた機能である。
それは真に見るということではない。
それは形象(イメージ)を作ることである。
それは見ることのかわりとなり、心眼(ビジョン)のかわりに幻想をもたらす。
(1:2~7)
あなたが「見ること」と呼んでいる形象作りの過程を初めて紹介する今日の主題概念は、あなたにとってあまり意味をなさないだろう。
今あなたが目にしている見慣れた物体の周りが光で縁取られているように見えてきたと
きに、あなたはそれを理解し始めるだろう。
それが真の心眼(ビジョン)のはじまりである。
これが起こったなら、真の心眼が速やかにもたらされると確信してよい。
(2:1~4)
こうして進んでいくにつれて、あなたは多くの「光の体験」をするかもしれない。
それらは多くの異なった形をとり、
その中にはまったく思いがけないものがあるかもしれない。それを恐れることはない。それは、あなたが目を開きつつあることの兆候である。
それらは単に真の知覚を象徴しているだけであり、
智識に関連していないので、持続することはない。
これらの演習は、あなたの智識を開示することはない。
しかし、そこに至る道を整える。
(3:1~7)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・このパソコンは、私が作り出した形象(イメージ)である。
・このコップは、私が作り出した形象(イメージ)である。
・この人は、私が作り出した形象(イメージ))である。
・・・
「カタチ」は「カタチ」のまま。
「思考」は「思考」のまま。
それらを消さなければならない、のではなく、
それらは認識されたらそのうち消えていくものなので、
そのままにしておいていいのです。
本当に大きな誤解をしておりました。
実は、「空白」を感じたくなくて、「カタチ」、「思考」に力を注いで、
「空白」を埋めるために、「カタチ」「思考」に囚われておこうとする。
そのように、「本質」から気持ちを反らしていたのです。
「空白」=「愛」を思い出さなくて済むわけだったのですね。
そうすれば「自我」は消えないし安泰でだと・・・。
だけど、
「カタチ」「思考」が光に溶け込むさまのみが本当のリアル。
それ以上でもそれ以下でもないものだったのです。
「カタチ」「思考」が光に溶けるひとときにいたいと思います。