【奇跡講座】の気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

手を離したら至福が待っている(レッスン234)

「これが自分だ!」という「自分像」を信じ込み、

 

「自分像」に従っていた間は、

 

過去と未来の記憶をにぎりしめているから、

 

自由はなかった。

 

さらなる「自分像」の計画に力を注ぎ込み、

 

「自分像」を壊さないように「防衛」し塗り固め、

 

それが壊れそうになる出来事に出くわすと、怖くなって、不安になり、

 

さらに「自分像」を強化してしまう。

 

いつも「過去」を振りかえっては記憶をたぐりよせ「自分像」を強化する。

 

年齢を数えては、その年齢というイメージのようなものでジャッジしたり。

 

来ることはない「未来」に喜びを託し、「欲求」をもち続ける。

 

「欲求」と「欠乏感」はセットなので、

 

ずっと、堂々巡りの苦しさを感じている・・・。

 

まさか、

 

「自分像」こそが「罪意識」だったなんて思いもよらなかった。

 

「自分像」を持ち続けている間、今という「空(くう)」・「静寂」を無視している。

 

「空(くう)」・「静寂」こそが根源なのだから、

 

根源を見るまでは、ずっと「欲求」と「欠乏感」が続く。

 

だけど、

 

本当に、

 

ただ一度、根源を見れば、

 

その苦しみは去っていく。

 

「自分像」も去っていく。

 

そして、それと入れ替わりに、

 

ありあまるほどの「至福」が訪れる。

 

・・・

レッスン234

 

父よ、今日、再び私はあなたの子です。

 

今日、私たちは、罪と罪悪感の夢が消え去るときがくるのを楽しみに待つ。

それは、私たちが本当は一度も離れたことのない聖なる平安にたどり着く時間である。

永遠と超時性の狭間で、ほんの一瞬が過ぎただけだった。

この間隔はあまりに短く、連続性は断たれず、永久にひとつである想念に何のとぎれもなかった。

父なる神と神の子の平安を乱すものも、何ら生じなかった。

このことを、私たちは、今日、全き真実として受け入れる。

 

父よ、あなたとあなたの夢の記憶が決して失われないことに、感謝します。

私たちは自らの安全を認識し、あなたが授けてくださった贈り物のすべてに、感謝します。

また、これまで私たちが受け取った愛のこもった助力のすべてにも、あなたの永遠なる忍耐にも、そして、私たちは救われているという、あなたから授けられた言葉にも感謝します。

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