肉体に隔てられているという思い込みから解放されると、
すべてが麗しく、ありがたい。
肉体の目を通すと、確かに目の前には、違いがあるけど、
その「違い」はただの自由な線でしかなく、
私たちは、その線を表しているスクリーン側。
スクリーン側なので、そこに自由な線が自由に描かれている。
ただただ「いとおかし」。
その自由さを讃える。
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ワークブック
レッスン247
赦しがなければ、私は見えないままである。
罪は攻撃の象徴である。
罪をどこかに見ている限り、私は苦しむ。
赦しだけが、私にキリストの心眼をもたらす手段だからである。
キリストの視覚が見せるものを単純な真理として受け入れよう。
そうすれば、私は完全に癒される。
兄弟よ、私の所にきて、あなたの姿を見せてほしい。
あなたの麗しさが、私自身のそれを映し出す。
あなたの無罪性は私の無罪性である。
あなたは癒されており、私はあなたとともに癒されている。
今日、私はすべての人をこのように見たいと願います。
私の兄弟はあなたの子どもたちです。
あなたの父性が彼らを創造し、
彼ら全員を、あなたの一部として、また私の真の自己の一部として、私に与えてくださいました。
今日、私は彼らを通してあなたを讃え、それにより今日という日に、私の自己を認識したいと願います。
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