【奇跡講座】の気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

マニュアル編での気づき

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか  Ⅷ. 忍耐

責め、裁かれてなんかいない。 その夢を握りしめていただけ。 握りしめている力の側にぎゅっと入り込んでいただけ。 その握りしめられている手ではなく、そのスペースを提供しているスペースそのものが私たち。 「忍耐」とは、ぎゅっとしている力側がほどけ…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅶ.  寛大さ

気づきは共有の財産。 だから、それは、惜しみなく与えられるもの。 気づきは延長される。 その管としていたいし、それだけが可能なもの。 これが寛大さだとマニュアルに述べられている。 決して失わないものに意識を戻す、気づきのために惜しみなく与える。…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅵ. 防衛しない態度

強いとか弱いとか、優秀とか愚かとか、何にも生じていない。 その「創造」そのもの。 自分を作ろうと必死だったのは、この世界に限定した価値を信じていて、その価値に自分を閉じ込めようとしてきたから。 愚かであること、みじめであることがとにかく嫌で、…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅴ.  喜び 

無条件でした。 喜びに条件はないです。 喜びを抑えることにエネルギーを使って疲弊していました。 なんてことでしょう。 自然に逆らうのはやめます。 喜びは感謝と祝福の証です。 ・・・ Ⅴ. 喜び 喜びは、柔和さから必然的にもたらされるものである。 柔和…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅳ. 柔和さ

何かに「恐れ」を感じたり、想像するときは、勘違いしているということで、そしてだからといって、自分でどうにかせずに、そのまま感覚を感じる。 そのうち、それは通り過ぎて、柔和さが表れる。 ・・・ 危害というのものは、神の教師たちとって不可能なもの…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅲ. 寛容さ

問題があると見る。 困ったことがあると見る。 価値の判断をしょうとする。 それにより「私」という分離の世界に突入する。 「私」とは、ただの一部。 その孤立の特性を信じ込み、その分断の視点から見ると、世界に脅威を感じ、防衛の必要性を感じ、深刻さが…

マニュアル編 四.神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅱ. 正直さ

私は個ではなかった。 そうだった。 昨日は、個人の世界に閉じこもっていた。 神の子という「一貫性」。 全人類のための選択。 個人を脇によければよけるほど、「正気」の目で見渡すことができる。 何が大切で、何が大切ではないか。 形は幻だから、大切もな…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか A. 信頼の進化

自我の不安定さに翻弄され続ける。 もう嫌だ、ほとほと嫌だ。 つい、馴染み深い罪意識と連動している自我という脆さの方にしがみついてしまう。 その弱さや卑怯さに嫌気がさす。 ムキになる。 もう、自我でいるふりはやめよう。 悠然さ、壮大さをゆるそう。 …

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴とはどのようなものか

これまでの人生を「自我」的にながめると、とてもじゃないけど、がっかりする。 あれもダメだった、これも失敗した、あれは選択ミスだった、これは運が悪かった・・・・・。 ジャッジして、覆って、隠したくなるし、挽回したくなる。 でも、正気を取り戻し、…

マニュアル編 ありとあらゆる機会が救い(三. 教えることにおけるレベルとは何か)

あらゆる機会を「無垢」と見る。 なにもかものルールや責めから解放し、解放される。 なにもかもが優しい。 「身口意」とは「教えて学ぶ状況」と同じことなんだなぁ。 素直なままいていい。 ホッとする。 ・・・ 三. 教えることにおけるレベルとは何か 神の…

マニュアル編 時間は幻想、愛は永遠(二. 生徒たちとは誰のことか)

愛は分かれていない。 愛は全体。 だから、自我は排除する必要はない。 ただ、自我は愛に解体されて溶けていく。 慌てて消す必要などない。 自我は表れて、揺るぎないおおらかな愛の中では簡単に溶ける。 その簡単さを受け入れたい。 この選択の中にいたい。…

マニュアル編 一.神の教師たちとは誰のことか

「マニュアル」を読むと楽しい気分になる。 なんて力強い手引書なんだろう。 あんなに焦って生きてきた日々を、今、癒し、赦し、解放している。 この癒し、赦し、解放、はわかち合われる。 今心に焦りや苦しみがあるとしたら、見る必要のないところをただ見…

「奇跡講座」教師のためのマニュアル 「序文」

ワークブックの4巡目が先日終わり、ようやく、今度は「マニュアル」を、ここで記していきたいという気持ちになれた。 ワークブックの4巡目の終わりごろ(レッスン200あたりから)、まだわずかにだけど「真理」を疑っていた、その感覚が消えた。 そして…