【奇跡講座】 気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

用語の解説 6.聖霊

答えがないことに対しては答えない。 それだけなのだなぁと。 答えがないことに対して答えようとしない。 答えられないし、その必要もない。 それよりも、愛でよう。 愛でることだけが自然なことだ。 ・・・ 用語の解説 6.聖霊 イエスは聖霊の顕現である。…

用語の解説 5.イエスーキリスト

イエスもわたしも、わたしたちもすべて、天国から一度も離れていない。 罪も罪悪も夢。 この世界を優しく看過し、麗しい被造物だけが輝いている。 ここ以外、なにもない。 すべてが光。 ・・・ 用語の解説 5.イエスーキリスト あなたは一度も天国から離れ…

用語の解説 4.真の知覚ー知識

わたしたちがゆだねたままでいいのは、わからないままでいいのは、それ以外なにも必要ないから。 見ている世界がなにもないのなら、そして身体でもないのなら、そして状態でもないのなら、もう打つ手はないし、打つ手など必要ないのだ。 そのことを認めるの…

用語の解説 3.赦しーキリストの顔

赦し、という性質は、この世界の幻想の中で、もっとも「正気(天国)」に近いもの。 赦し、という知覚のみが、幻想の世界に機能できる、唯一のもの。 赦し、とは「ないものをない」と認めること。 壊れるものは、最初から「ない」。 そこに期待や一縷の望み…

用語の解説 2.自我ー奇跡

赦す。 「見て、見過ごす」。 「地獄を地獄と見る」。 そして地獄は幻想だと知っていることを認める。 反応は不可能だった。 世界に反応できないのは、それが幻だから。 この世界で名づけられないもの。 それだけがリアル。 ・・・ 用語の解説 2.自我ー奇…

用語の解説 1.心ー霊

声高々に主張するからといって「自我」には何の力もない。 実体がない。 どんなにそれが重要に見えても、どんなにそれに価値があるように演出しても。 その喧噪に愛の泣き叫びを感じたら、もう素直に降参するだけ。 これまで、間違ったところ、あるいは限定…

マニュアル編 用語の解説 序文

「言葉」の必要がない世界がわたしたちの本当の居場所。 これは「体験」によってのみ「体験」される。 質問がなくなったとき、この一つという真実が体験される。 看過(スルー)の理由を探さなくても、看過(スルー)しかできないことに気づく。 でも、今、…

二十九.その他のこと

そうだった。 わたしは「ただの人」だ。 それを認めるのがいやだった。 もっと言えば「ただのおばちゃん」だ。 おばちゃん、という響きに抵抗があるけど、でも、「何者でもない」ことに、めちゃくちゃホッとする。 そうだそうだ。 「ただのおばちゃん」を認…

二十八.復活とは何か

何からも区別されていない。 「生命」だけがある。 「身体」はコミュニケーションの媒体として在る。 それは「空」をわかち合う。 「生命」をわかち合う。 「空」はくつろぎ。 愛はくつろぎ。 ・・・ 二十八.復活とは何か ごく簡単に言って、復活とは死を打…

二十七.死とは何か

「肉体」に対する意味が変わる。 全体がわたしだった。 たまたま、夢の中では、一番近くだと認識しているものとしての濃さが「肉体」を演出していたのだ。 そして、全体側から言えば、愛に濃さを設けていたのだった。 わたしという特別性、罪意識が解かれ、…

二十六.直接、神に到達することはできるか

何も複雑なことはなかった。 リラックス。 何を求めていた? どこまでもくつろいでいることだ。 くつろぐと、瑞々しさにつつまれる。 それが、またわたしをくつろがせる。 これ以上なにがあるだろう。 何も必要ない。 誰とでも、何とでも、その間というもの…

二十五.「心霊的」能力は望ましいことであるか

特別という誘惑は、どこまでもやってくる。 それでも、特別を訴えることの息苦しさに、素直に敏感になったから、すぐに離れられるようになった。 自我の世界に興味がなくなったことで、静かになり、冷静になった。 自我の世界に興味がないので、良い悪いや、…

マニュアル編 二十四.輪廻転生はあるか

もう輪廻転生したくない、という気持ちがあった。 だから、今生で、どうにか悟りたいというふうに思っていた。 でも、それは「自我」を”脅威”と見ていたからだった。 「自我」の世界の、苦しくて、めちゃくちゃで、狂暴な狂ったところはもう懲り懲りだと疲弊…

マニュアル編 二十三.癒しにおいて、イエスには特別な役割があるか

今も昔もわたしたちは「イエス」と一緒にいる。 それはひとつのものだから。 イエスを本当に思い出すときに流れ込むゆるぎなさ、安心感、リラックス、喜び、謝罪、感謝。 この感覚に素直でいよう。 もう、ここから離れない。 離れる必要がない。 擬人化の表…

マニュアル編 二十二.癒しと贖罪はどのようにして関連しているか

限定的である「思考」で見ない。 見ても、それはただのなんでもないもの。 すべてが被造物で、祝福されている。 その気楽さのなかでくつろぐ。 癒され、赦されている。 ごめんなさい。 ありがとう。 愛している。 この”感覚”に素直になる。 ここにきて、「ホ…

マニュアル編 二十一.癒しにおける言葉の役割は何か

この章の言葉を、ちゃんと自分に受け取る機会は「今」だったのかと。 ゆるしを受け入れた分だけ、理解が深まる。 ずっとジレンマに陥っていた。 「神の言葉」を受け取っているのに、躊躇して、表せない。 なぜなら、自我の世界で生きていけなくなるから。 自…

マニュアル編 二十.神の平安とは

今、マニュアルだけに集中できていて、深く心に浸みていきます。 これまでの「気を取られていた」状態とは、「今」以外のどこかに意識が向いているわけで、それはどうしてか?というと、ここ以外のどこかの方が重要だ、価値がある、と思い込んでいるから。 …

マニュアル編 十九. 正義とは何か

ここで述べられる「正義」は、物質世界で言われている「正義」とは逆。 見るところを正すという意味での「正義」のこと。 今まで見ている世界がただ間違っている。 間違っているところをみて間違っているとずっと叫んでいる。 だから、それはそれで、間違っ…

マニュアル編 十八.訂正はどのようにして行われるか

「外」に違いをみて、それに不満を感じて、裁きたくなったときは、間違っている。 けど、ずっと裁く人生だった。 もうへとへとだ。 それに、だからといって、もう責めることはない。 素直に静けさに入っていくだけ。 今はとにかく、静かにいたい。 いっぱい…

マニュアル編 十七.神の教師は、魔術的想念にどのように対処すべきか

「魔術的想念」は、この世界をリアルだと思って、この世界の中での人や物事を動かすことに力を使うこと。 でも、だからといって、「魔術的想念」を信じている人を、裁いて、否定したり、咎めたりすることは、「魔術」の世界がリアルだとでっちあげられること…